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2019.10.31(木)

イラク レポート #3

今回のツアーでは、たくさんの人々のサポートをいただきましたが、中でも身近なところで尽力して

くれたのが、地元のガイド “バルザン”です。彼はとても優しく、積極的に行動します。そして相手の

求めていることへスマートに対応をしてくれる素敵な人です。

 

 

そんな彼が、かつて親族を21人も殺された悲惨なできごとがあったと話してくれました。

 

それはさほど昔ではない1988年のこと。「アンファール作戦」という、フセイン政権下にイラクの北部

で行われた、クルド人を標的とした軍事作戦という名の虐殺だったのだと。

 

その悲惨なできごとを後世に残すことを目的とした記念館から、ぜひ実態を見てほしいという話もあり、

イラク北東部の街チャンチャマルへ向かうことになりました。

 

アルビールから車で数時間。乾いた大地をひたすら走ります。

 

こちらが記念館。とても立派な建物です。

 

 

到着すると、館長さんをはじめ多くのスタッフの方が出迎えてくださり、すぐにアンファール作戦に関す

る説明をしてくれました。

 

イランイラク戦争末期、フセイン政権はイラク北部に住むクルド人たちを反乱分子として「アンファール

(戦利品を意味するコーランの中の言葉) 作戦」と銘打って大規模な略奪、虐殺を行いました。資料館によ

れば、1988年の2月から8月までの半年間で約18万人が殺されたといわれています。(詳細な数は未だ不明)

 

家族を男、女、子供それぞれバラバラに引き離し、砂漠の大穴の中に入れ機銃掃射により一瞬にして多く

の命を奪ったり、サリンなどの化学兵器が使用され(今でもその被害に苦しむ人々も多い)ある村では1日

で何千もの命が失われたり。4000以上の村が破壊され、被害者が多いこともあり、その詳細な実態は未

だに不明な部分が多いとのこと。

 

 

建物の裏手にあるひときわ大きなモニュメント。

これは引き離され殺されてしまった親子が再び再会できることを願って、母が子を抱くモチーフとなって

います。その意味を知るだけでも、胸が締め付けられる思いです。

 

合計8回に渡って行われたアンファール作戦、1つずつの詳細な資料。(合計8枚のパネルで展示)

 

亡くなられた人々の顔写真を集めたパネル。命を重さと尊さを感じる。

 

「このできごとが世界に報道されることはほとんどなかった。それはとても悲しいことである。」と、

館長は話します。その1つの例として、広島・長﨑の原爆投下について、クルド語に翻訳された書籍は

あるのだが、このアンファール作戦に関する日本語の書籍は出版されていないことを挙げていました。

 

「ぜひ世界に知ってもらいたい。そして2度とこのような悲惨なできごとが起こらないことを願っている」

 

またハラブジャという街には「広島通り」というものがあります。彼らは原爆による悲劇を、このアン

ファール作戦による悲劇と重ねあわせ(欧米の兵器がこの作戦に使用されたことも併せ)、復興と祈りを

広島・長﨑に送っていると教えてくれました。それは今まで全く知ることのない話でしたが、知り得た

こと、知る機会に恵まれたことに大きな意味があると思いました。

 

強い気持ちを託されたような滞在。

資料館を出るときも、スタッフの皆さんが最後まで見送ってくれたことが印象的でした。

 

 

すっかりと夕暮れ時になった街。

 

その後、バルザンの実家を訪問しました。お母さんはバルザンがかわいくてしょうがない様子。

その仲間ということで、快く迎え入れていただきました。お母さんの手料理も美味!

 

食事の最後は、お母さん自ら入れてくれるチャイ。

グラスに入ったタップリの砂糖、わかりますか?これがこちらのチャイの美味さの秘訣です。

 

 

そしてすっかり日が落ちた道を、一路アルビールへ。

とても濃厚な一日。そしてライブはまもなく。